2013年02月01日

良き国、アルジェリアが… 前編

アルジェリアの石油プラントの会社の方々が襲われ、悲しいことになりました。
亡くなられた方々に対し、心からご冥福をお祈りいたします。

実は私、今から25年前にアルジェリアに行ったことがあります。
勤めた会社を退職し、2ヶ月ほどヨーロッパとアフリカを旅しました。
時はバブルの真っ最中。ヨーロッパで出会う日本人観光客はブランド店で
バックやスカーフを買い漁り、スーツケースをガラゴロ引きずって綺麗な
服で買い物店や観光地を巡るツアー客ばかりの時代。
私はというと、「地球の歩き方」を片手にバックパックを担いで
その日に安ホテルを探して泊まるような気ままな一人旅。服は3セットを
洗い回し、安いレストランを探したり、テイクアウトで済ませたり、
食パン1斤で3日過ごしたりする貧乏旅。お金が底をついたら帰るという
予定の決まってない旅でしたから、少しでも長く旅するには安ホテルに
泊まるしかしかなく、その安ホテル代も惜しくて駅で夜を過ごしたり
海岸で寝袋で寝るような有り様でした(治安も現在ほど悪くはなかった)。
ヨーロッパから北アフリカを縦断し、またヨーロッパに戻り、北欧、東欧、
トルコなどを回ったのですが、この頃はまだアフリカを旅する人は少なくて
情報も少ない。
さすがの私もそんなアフリカを20代女子一人旅は不安でしたので、同時期に
ヨーロッパを旅してた2人の女友達とフランスのマルセイユで落ち合い、
安い船でチュニジアへ渡ることにしました。

(ここからはあくまで25年前の話。今の状況とは違うと思うので、その点は
お知りおきを。)

船はアフリカ人でぎゅうぎゅう詰め、日本人はもちろん私たちだけ。
日本人女子がよほど珍しいのか次から次へと見物にこられて、まるで
動物園のオリの中にいる気分。
「シノワ!(中国人)」「ジャッキー・シェン(チェンじゃなくシェン)」
と何度となく言われ、「ジャパン!」と言っても誰も知らない。
船を降りてもとにかくどこでも人だらけ。
チュニジアの旧市街で数日過ごしたのですが、たまたま入った本屋の主人と
その友人にいろんな所へ連れてってもらったり、友人の友人という人たちに
囲まれながら (なんせ若い日本人女性は珍しいからウヨウヨ人が寄ってきて
世話を焼いてくれる。イスラム国だから女性は顔をベールで隠し、
街も出歩かないらしく、あまり女性を見かけない。だから余計私たちが
珍しいらしかった) 迷路のような旧市街の中を案内してもらったり家に泊めて
もらったりして、チュニジアを出る時には男たちに駅で盛大な見送りまでして
もらいました。
アフリカ第一歩の好印象のチュニジアと別れて列車でアルジェリアに入ったの
ですが、国境で列車が止まり、ビザとパスポートチェックがありました
(アルジェリアは社会主義国)。
何人もの軍人が列車に入ってきて、「アルジェリアに入るには外国人は強制的に
両替をしなくてはならない。3万円分のドルをアルジェリア通貨に換金せよ」と言う。
アルジェリアには1週間くらいしかいるつもりがない私たち、ここまで
1日500円暮らしの貧乏旅が身にしみてるのに3万円!?
しかも、普通の国なら使いきれずに残ったら残金を国を出る際に他の通貨に
換えてもらえますが、 そこはアルジェリア、国外ではアルジェリア通貨は全く
通用せず紙くずになるだけ (さすがに現在はレートは悪いが換金できるようです)。
さらに、換金レートが現地の人と外国人とでは違う!
たとえば現地では 1ディナール=10円(覚えてないけど確かそのくらいだったような)
なのに、外国人は 1ディナール交換するのに30円も払わされる!!
つまり何を買うにも本来の3倍の値段で買わなきゃならん羽目になるわけです。

しかしアルジェリアを通らなければモロッコへ行けない。
仕方なく3人で9万円をアルジェリア通貨に換金しました。
というわけで、私たちは9万円を3日で使いきらなければならない。
しかしアルジェリアの物価は安い! 3倍のレートでも安いよ!
とりあえずホテルで豪遊でもするか、と目的の駅に着いたのがもう夜(かなりの田舎)。
いきなりまた警官につかまり、なぜか私だけ別室に連れていかれた。警官が言うには
「ここにホテルはない、何しに来たのか」という。片言の英語とボディランゲージで
必死に「単なる旅行者だ!」と訴えてもニヤニヤ笑うばかり。なんかおかしい。
ついには「3000円やるから俺と一発やろうぜ、そしたらここに泊めてやる」という。
なんちゅう国や!! しかも3000円て、外国人レートは3倍やから実質、私の価値は
現地通貨で1000円かいっ!!

あまりの安さで腹立つのと危険も感じて部屋を飛び出し、3人で警官とわーわー
やっていると、すごく紳士なアルジェリア人が来て、通訳しながら警官に話をしてくれ、
なんと自分の財布からお金を出して警官に握らせ、おかげで私たちは開放されたのです。
彼はハンガリーの大学に留学したこともある学識人で、「アルジェリアはまだまだ
産業も意識も途上国。学校へ行ける人も少ない。社会主義だから勉強したくても機会を
与えてもらえず留学は同じ社会主義国でないと行けない。役人と賄賂の国なんだ」、
と説明してくれた。
つまり駅の警官は「賄賂を渡せ」と言うてたのかと、この時初めて気づいたのです。
彼は「僕はハンガリーでも外国でもたくさんの人に助けてもらった。だからそのお返し」と、
私たちにとても親切にしてくれ、夜通しやってるカフェに行き、アルジェリアの
いろんなことを教えてくれました。
彼と別れたあと、行きたかった峡谷の街、コンスタンティーヌの橋へ。
アルジェリアに入ってから一睡もせずにいたのとチュニジアの疲れが出て、
橋の下の河原で休憩してる間に3人とも居眠りしてしまいました。
ふと起きてみたらカメラがないっ!!
盗られないようバックパックを枕にしてカメラはきっちり肩からかけて寝てたのに
いつのまに盗まれたんだ!?
「ないない!」と大騒ぎしてたら、案の定「どうしたどうした!」とワラワラと人が
って来て、「カメラ、盗られた」とジェスチャーで伝えたら「ここで待ってろ」と言う。
数人の男たちがその場に残り(半泣きの私たちを元気づけるため)、残りの男たちが
散り散りに走って行った。
もう無理や、と諦めた頃、なんと、10人ほどの男たちが叫びながら戻ってきた。
しかも先頭を走る男性は手を大きく挙げ、その手には私たちのカメラが!!
さすが電話もテレビもない国、人々のクチコミネットワークはハンパない!
大喜びする私たちに彼らは、「イスラム教では盗人は手首を切り落とされる。
カメラを盗んだのは悪いことだが、彼を許してやってもらえないか」と言う。
もちろん「そんなんOK OK!」と笑顔で言う私たち。
そこからはまた男たちが「うちに来い、家族を紹介する」「次はうちに来い、
ごちそうする」と世話焼き合戦が始まり、家に連れてってもらいました。
家の中にはベール姿の女性もいて、お茶やお菓子やパンやおかず(確かヤギの肉だった
と思う) を振る舞ってくれ、見たことのない日本人に興味津々。
とにかくみんなとても親切、どの人もみんな言ってたのが、「イスラム教は、困った人を
見たら友人として助ける、それがアラーの教え」 なんだそうです。
だから私たちは「イスラム教って なんて素晴らしい! 」と、勢いでコーランの本まで
買ったくらい(アラビア語だから全く読めんけど)。

イスラムの人々にあまりにお世話になった私だから、テレビでイスラムの爆破テロとか
テロ攻撃とかのニュースが流れても、「みんながそんな人たちばかりじゃない」と、
どうしても言いたくなってしまう。
出会ったイスラムの人々が大好きだったから、だから余計にテロのニュースを見ると、
どうしてこんなことになるのか、どうして、と悲しくなる。

私が旅した北アフリカのチュニジアも アルジェリアもモロッコもみんな熱心なイスラム圏。
でもみんながとても親切で、日本人なんかよりはるかに純粋で優しかった。

宗教はすごい。そして、宗教は解釈次第でとても怖い。何より、人々にとって大切なのは
と情報、情報を正しく判断するためにも教育が必要なんだ、と感じました。


さて、親切な彼らのおかげで私たちはほとんどお金を使うことなく過ごし、9万円のうち
1万も減らない。
「どうする? この調子じゃ金は減らんで。そうだ、飛行機でサハラ砂漠へ飛ぼう!
飛行機代に使おう!!」…

私たちはまたもや無謀な考えでアルジェリアの首都、アルジェへと向かい、またまた
さまざまなことをやらかしてしまうのです…

さて続きは来月のエッセイで。

posted by 安楽満 帆志 at 00:00| Comment(0) | エッセイ