2014年12月01日

2014年12月

朝晩がめっきり寒くなりました。
9月から続いていた私のカボチャ熱は、世の中がハロウィンでヒートアップする前に
すっかり冷めてしまい、冷凍室のカボチャペーストは冷凍焼けしてカピカピに
なりつつあります。

代わりに11月は銀杏拾いに明け暮れ、あちこち拾いに行ってバケツに漬け込んで
外皮をふやかしてゴム手袋で剥いて乾かして、という鼻が曲がりそうなクッサーい
作業を週末の休みの度に行っておりました。
ガレージで水を流しながらやってたもんで、道ゆく人は「何この匂い!」と
必ず顔をしかめて通り、住宅密集地では近所迷惑甚だしい。
しかもゴム手袋を外しても手がまだクサイ。お風呂入っても爪の先がまだまだクサイ。
恐るべし銀杏臭!!

で、ようやく乾いた11月の月末に、ペンチでそっと皮を割り、実を古封筒に入れ、
塩もひとつまみ入れ、レンジで1分。ポンポンと跳ねる音がすれば出来上がり。
翡翠色の熱々の銀杏はチョーうまい!!

こんなことに明け暮れてたもんで、11月のエッセイは すっ飛ばしてしまいました、
ゴメンナサイ(言い訳)。

さて話は変わりますが、先日 聴覚障がい者のかたとお話しする機会がありました。
そのかたは補聴器をつけておられるので少しは聞こえ、手話と口話(唇の動きを読み取る)
で話をされるかたなのですが、私に「はっきりと口をあけてゆっくり話をしてほしい」
と言われました。

それでも何度か聞き返されたため、補聴器でいったいどこまで聞こえてるんだろうと思い、
尋ねてみたんです。
すると、「紙コップを口にあてて話してみて下さい、それが私たち聴覚障がい者の
聞こえかたなんです」と言われたので、やってみると、紙コップが振動して声が全く
聞き取れない。
「あ」だか「か」だか「は」だか全くわからず。
「どうやって聞き分けるのですか?」と聞くと、「微妙な舌の動きや歯の位置を見て
区別します」とのこと。
今まで、補聴器をつけてる人は聞こえる音量が小さいだけかと思ってたけど、
違ったんだと知りました。
そのかたは「補聴器は全ての音を拾うので、雑音もごちゃ混ぜで入ってくる。
障がいのない人は、聞きたい音や声だけを聞き分けることができるけど、聴覚障がい者は
雑踏や音楽がかかってる中では声が聞き分けられない」と言われました。
そうだったのか… 知りませんでした。

「どんなことが一番不便ですか」と聞いてみると、「病院」と速効の答え。
受付で名前が呼ばれても聞こえない。だから名前を呼ぶ受付の人の口元をずっと見ている
そうで、呼ばれるまで30分ほど見続けてるだけで疲れる。しかも、診察室に入り医者と
話す時も、医者はたいていマスクをしてるから口元が読み取れない。
「聞こえないからマスクを外して」と頼むと外してくれるが、カルテを書きながら下を
向いて話されるからやっぱり口元が読み取れない。それを必死で読み取り、また会計に
支払いに行き、名前が呼ばれるまで口元を見続ける。さらに薬局でまた名前が呼ばれる
まで口元を見続ける。
だから病院は「一番やっかいなところ。体調が悪いから病院に行ってるのに、
余計しんどくなる」と言ってられました。
また、電車でも、周りの音が多すぎてアナウンスが聞き取れない。ていうか、
独特のイントネーションだから訳がわからない。なので、車窓から景色をずっと見て
降りる駅を確認するそうです。

また、歩道を歩いてても、後ろから来る自転車とよくぶつかるそうで、自転車はベルを
鳴らせば歩行者がよけてくれると思って走ってくる。視覚障がい者は白い杖を持ってる
から自転車はよけて走るが、自分たちはよけてもらうすべがない、と言ってられました。
あと、落とし物も多いそうで、私たちはポケットから鍵が落ちればチャリンと音がして
気づきますが、聴覚障がい者にはその音が聞こえない。 落とし物がサービスカウンターに
届けられても、案内アナウンスが聞こえないから気づかずに帰ってしまう。

…なんとも大変な世界なんだと驚きました。
でも、「今は不便を補うものがたくさんできてきた」そうで、電話は聞こえないから
使えなかったけど、今は携帯メールがあるから連絡ができる、電車も電光案内板がある
ものが増えて降りる駅がわかるようになった、テレビも字幕つきのものが増えて
楽しめるようになった、と言ってられました。

そのかたが最後に言われた言葉がとても印象に残ったのですが、私が「聴覚障がい者の
かたが困ってられてても、私は手話もできないので、どうしてあげればいいか難しい」
と言うと、「手話ができなくても、聴覚障がい者に対して伝えようとする気持ちが
何より大事。その気持ちがあれば必ず伝わります。
私たち聴覚障がい者だけでなく、子どもにもお年寄りにも、誰もがわかりやすい
仕組みや工夫がもっと増えてほしい。それが誰もが暮らしやすい社会だと思う」。

本当にそのとおりだと思いました。それこそがノーマライゼーションなんですよね。
弱いものに優しい仕組みこそ、みんなが暮らしやすい仕組みなんだと改めて感じました。
聴覚障がい者のかたのご苦労を全く気づかずにいた私は、まだまだ人として優しくない
なぁと感じた時間でした。
ホント、銀杏の臭い汁を溝に流し、ご近所中にクサイにおいを撒き散らし、「旨い旨い」
と銀杏をポリポリ食べてるようではアカンのですわ…。

posted by 安楽満 帆志 at 00:00| Comment(0) | エッセイ