2016年02月01日

2016年2月

随分の御無沙汰となり大変申し訳ありません。
もう年も新しくなり、冬をすっ飛ばして暦の上では春を迎えてしまいました。
まだまだ寒いですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

私は冬のボーナスが出た日に「何も買わないぞ、台所洗剤2本だけ」と決めて100均に行き、ついふらふらとフロアの隣の電気屋エディオンに入り、エアコンを買ってしまい、頭抱えて後悔した年末でした。

さて、エッセイにも再々登場している京都は美山町の私の母の実家ですが、秋冬に大きな変化がありました。

母が体調を崩してからは、私も毎週末に母が独りで住む長岡京の実家へ行き、1週間分のおかずを作る日々で、 美山町の田舎の面倒まで手が回らない状態。「行かねば、早く行かねば」といつも悩ましい気持ちになってました。
それでも、墓参りがてらシーズンに一度は掃除に行き、植木や草刈りをシルバー人材センターに依頼しと、最低限の世話をしてたのですが、さすがに今後のことを考えると、売りに出すしかないのかと、不動産屋に相談していました。
田舎の家はボロ屋だし傾いてるし、土地も変形だし、売れるようなもんではない。私の中にも売れて欲しくない思いも強い。やっぱお婆ちゃんとの思い出の場所だから、私は無くなってほしくない。
しかし、今の家はそもそも母の育った家ではないもんで、母にはさほど愛着がない。というのも昔、母が子どもの頃は父親(私の祖父)が鮎を活きたまま京都の料亭に運ぶ運送業と鮎旅館をしており(戦争前の話)、ベンツやフォードのトラックを何台も持って社員も抱え、豪勢なお嬢の暮らしぶりをしてたらしい。写真が少し残ってるけど、ホンマ昭和初期!? というくらい、ド田舎に似つかわしくないハイカラさ。家も旅館をしてたくらいだから大きなもので、トラックの車庫といっても、運転手が寝泊まりできる二階つきの家で、道を挟んで前にありました。そんな豪勢なお嬢生活も、母が小学校6年の時に父親が亡くなり、そのうち戦争に突入。旅館業どころじゃなくなり、母も女学校の寄宿舎に、そして就職、結婚。祖母は独りで住んでたのですが、私が産まれた年に旅館が放火されて全焼。それも、放火したのは消防署の職員!どうやら公費を使い込み、その調査をされる日になると放火をし、自分のおこした火事に出動。出動すれば調査は延期になるので、そうやって調査を逃れていたとのこと。
ドラマチックな話ですが、祖母は後ろを振り返らない賢く気丈な明治女でしたが、家を焼かれ、しかも「放火したのはお前か」と取り調べを受けて、「あんな悔しいことはなかった」と涙を流してた姿は忘れられません。
結局、旅館がなくなり住む所がなくなり、急きょトラック車庫を改造して住居にしたのが今の家。だから母には愛着がないわけです。
しかし、もし売れたとなると、大量の荷物を片付けねばならぬ。売れても大変、売れなくても大変という頭の痛い状態。

ところが!
まさに降って湧いたようなラッキーな話が舞い込んできました!!

行政の「あすの村人」という事業で、過疎脱却で若者を増やすために「仕事と家を用意するから住民になろうよ」というものに、我が田舎家に白羽の矢が。振興会の人が言うには「空き家は多いが、みんな、いつか息子が戻ってくるかもしれないから、と貸す話には乗ってくれない」らしい。
私「でも、家傾いて窓開かないし、五衛門風呂は錆びてるし、すきまビュンビュンで、手を入れないと住めませんよ」
振興「改装費用補助があるから大丈夫、直しますよ」
私「山ほど荷物残ってるし、小屋もがらくただらけなんですが」
振興「残しておきたいものだけ言ってくだされば、それだけ残してあとは僕らで捨てますわ。処分費用も補助ありますし」
と、なんとも有り難い話。

そこからトントン拍子で話が進み、ついに工事が始まり、脱衣所や水洗トイレができ、家の傾きは直され窓もスイスイ開くようになり、なんとネットまで引かれました。
トイレなんてシャワートイレですよ、私の家にもないのに!

なんとスゲーっ!!
なんか狐につままれたようなオイシイ話です。家を貸すのに修理費も行政持ち、片付けも無料でやってくれる!!
新たな住民の荷物が運ばれてくる中、私は「残すべきもの」の選別に行きました。
祖母の着物、写真、餅つきの石臼、火鉢、祖母と一緒に栗拾いをした籠を残すことに。
そしてさらに、悩んだ末に、長い間小屋に貼られてた金鳥蚊取り線香(水原弘の)看板とボンカレー(名前わからんが、「私にも作れます」と昔テレビで京都弁で言うてた着物のおばちゃんの)看板も残しました。
ボロ錆び状態でしたが、私が小さい時、川から泳いで疲れて歩いて帰る道で、この看板が遠くから見えると「もう少し」と頑張り、だんだん看板が大きくなると安心したものです。
子どもの頃は大きな看板だと思ってたのに、こうして見ると小さいものだったんだなぁ…。
結局、価値のあるものはなく、思い出のものを残しただけって感じで新しい住人に後を託した形となりました。
売る訳じゃなく貸すだけだし、それならお婆ちゃんへの罪悪感もないし、人が住んでくれることで家も傷まないし、言うことなしの結果。

なのにこの寂しさは何!?
自分でも理屈のつかない寂しさがどっときた。
栗拾いができない?
いや、旅館の跡地に栗の木があるし、そこは貸してないから栗拾いはできる。
墓参りの拠点がない不便さか? 何なんだこの気持ちは…

多分私は、自分が好きな時に田舎の家に行って、ほっこりしたり、お婆ちゃんとの思い出に浸りたかったんだと思う。
いつか、川に行って、せせらぎの音を聞きながらヒグラシの声に夏の終わりを感じたり、春の山の恵みにワクワクしたり、チマキの笹をとりに行ったりと、お婆ちゃんとの暮らしの中で得た私の原風景に触れる機会が無くなりそうで怖かったんだろう…… それが寂しさの理由なんだろうな、とわかりました。

新しい住人は1月なかばからあの田舎家に住んでおられます。間に行政が入ってて、私は行政に貸して、行政が住人に貸す形なので、私が直接住人とお話する機会はないのだけれど、いつかもし話す機会があるなら、この田舎家が持ついろんな人を支えてきた深くて長いストーリーを伝えられれば、と思うのです…。

2016_02a.jpg
これがトラック小屋を改造した田舎家です。
もともと旅館があった場所から撮ってます。

2016_02b.jpg
(左)五衛門風呂に脱衣所がついた
(右)いいなぁ…シャワートイレ
posted by 安楽満 帆志 at 00:00| Comment(0) | エッセイ